都内最古の寺院である浅草寺には、毎年3000万人もが参拝に訪れます。
広い境内ですが、ほとんどの方は雷門と宝蔵門をくぐり、本堂にお参りして帰ってしまうのではないでしょうか。
もちろん、本堂は大変神秘的な空間ですが、ほかにも境内各所に特別なご利益のあるお参りスポットが、数多くあるのです。
そこで、体験じゃぱんのオコシが、本堂以外も含めた浅草寺のご利益を調査してきました。
ネットには情報源の曖昧な説も散見されるので、浅草寺公式サイト、浅草寺発行のガイドブック、浅草寺への確認取材によって、正しい情報を調べました。
浅草寺本堂にお参りするご利益は?
まずは浅草寺の中心、本堂を見ていきましょう。1300年にわたる秘仏がいらっしゃる神聖なスポットです。
ご本尊は聖観世音菩薩
ぼくがまだ子どものころ、足立区に住んでいたおじいちゃん、おばあちゃんは、「観音様へお参りに行く」といって、よく浅草へ連れてきてくれました。
観音様こと「聖観世音菩薩」(観音菩薩)こそ、金龍山浅草寺のご本尊です。
浅草寺の起源は、今からおよそ1400年前、7世紀の飛鳥時代にまでさかのぼります。推古天皇36年(628)3月18日は、早朝のことです。
檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が、隅田川で漁をしていました。すると、投網にかかったのは一躰の仏像! とはいえ、仏像をよく知らない檜前兄弟は、そのまま水の中に投げ入れてしまいます。
ところが、場所を変えて網を打っても、一向に魚は捕れず、代わりに仏像が網にかかるばかり。「これはただ事ではない!」と仏像を持ち帰ることに。
当時、一帯を管轄していた役人の土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)が拝すと、聖観世音菩薩の像であることがわかりました。中知は深く帰依し、出家して、礼拝供養に生涯を捧げました。
その後に浅草寺を開基したのは、大化元年(645)に浅草にやってきた勝海上人です。夢のお告げを受け、聖観世音菩薩のご本尊を秘仏と定め、観音堂を建立しました。
観音様のお力は「施無畏(せむい)」。所願成就がご利益
観音様は女性の仏様です。たくさんいらっしゃる仏様の中でも、特に慈悲深いのが観音様だとされています。
観音様は経典の中で、「施無畏者」とされています。「施無畏」とは、「畏れ(おそれ)無きを施す者」という意味で、人々の「不安」や「恐怖」を取り除いてくださいます。
ご利益は「所願成就」。
「縁結び」や「商売繁盛」のように、特定のジャンルではなく、心に願うこと全般を叶えてくださるありがたい仏様です。
お参りの際は、合掌して「南無観世音菩薩」と唱えましょう。
浅草寺本堂には複数の観音様が安置されている
大きな屋根(ちなみにチタン製)が印象的な浅草寺本堂。6時(10月~3月は6時30分) 、10時 、14時の1日3回、定時法要があり、ありがたいお経を聞くことができます。
本堂の中は、正式な取材でも撮影禁止なので、写真をお見せできません。
ご本尊の聖観世音菩薩像(檜前兄弟が見つけた観音像)は、浅草寺の住職ですら見てはいけない絶対秘仏です。かたく鍵のかけられた厨子に入れられ、本堂内陣の御宮殿に安置されています。
ご本尊の前には、慈覚大師作の「御前立本尊」が泰安されています。本当のご本尊の代わりに、参拝者が拝むことのできる仏像ですが、こちらも秘仏とされています。ただし、年に1度だけ、12月13日の14時から15分間、ご開帳されます。
御前立本尊とともに、徳川家康、徳川家光などの護持仏であった観音像も安置されます。
さて、唯一、毎日お姿を拝める観音様が、本堂の後堂にいらっしゃる通称「裏観音」です。本堂から内陣に入り、ご本尊と御前立本尊の安置される御宮殿の、さらに裏手へ。
もちろん、こちらも撮影禁止。厨子に安置された観音像は、高さが1mほどでしょうか。絶対秘仏のご本尊と、同じお姿だとされています。
本堂内陣まで行くと、観光客は少なく、浅草寺の中でも特別な空間。筆者も内陣には初めて入りましたが、熱心な信者の方々に混じってお参りするのは、とても貴重な体験になりました。
7/10にお参りすると、126年分のご利益が!!
浅草寺では7月10日を「四万六千日」と呼び、毎月ある縁日の中でも、もっともたくさんの功徳を積める日としています。
なんと、1回お参りすれば、4万6000日分(約126年間!)のご利益があるというのですから驚きです。7月9日・10日の縁日には、ほおずき市が開かれ、境内は大盛況となります。
イメージ写真:写真AC
ところで、お寺の縁日は、百日分、千日分の功徳を積むことができる日とされてきました。では、浅草寺の7月10日は、なぜ4万6000日になったのか?
浅草寺ホームページでは
米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません
と紹介されています。
縁結びのご利益なら久米平内堂へ
広い浅草寺の境内には、本堂以外にもたくさんのお参りスポットがあり、ご利益は多彩です。恋愛のパワースポットと言えば、宝蔵門の脇にある久米平内堂でしょう。
辻斬りがなぜ縁結びの神様に??
久米平内は江戸時代前期の武士で、彼を祀っているのが久米平内堂です。
「剣の達人だった」といわれており、講談に登場するほどの有名人なのですが、実際の人物像はよく分かっていません。一説には、夜ごと辻斬りを繰り返し、多くの人をあやめたと言います。
年を取り、悔い改めた平内は、浅草寺境内の金剛院で「仁王座禅の法」を修行しました。
晩年、平内は自分の姿を石に刻ませ、多くの人に「踏み付けて」もらうことで罪を償おうとしたそうです。石像は、人通りの多い仁王門付近に埋められましたが、後の人々によってお堂に安置されました。
と聞くと、とうてい縁結びには関係ないような気がしますが、ここからが江戸っ子のシャレが利いたところです。
平内が望んだ「踏み付け」は「文付け」に転じました。文付けとは、手紙を渡すこと、付け文、恋文という意味で、そこから縁結びの神様として、庶民に信仰されたといいます。
現代でも、知る人ぞ知る恋愛のパワースポットになっていますよ。
病気平癒のご利益なら薬師堂、淡島堂
薬師堂、淡島堂は、どちらも浅草寺の境内、本堂の西側に位置するお堂です。それぞれ、別々のご本尊がお祭りされています。
病気を治す仏様・薬師如来をお祀りする薬師堂
ご本尊は薬師如来座像。薬師如来は、「薬」という名の通り、病気を治してくださる仏様です。
浅草寺の薬師堂は、江戸時代につくられた古い建造物。橋のたもとに作られたので、「橋本薬師堂」と呼ばれていますが、平成6年(1994)に、現在の位置へ移築されました。
淡島堂は婦人病にご利益あり
2016年2月現在、工事中なので、残念ながらお堂の全貌は見えません。
淡島堂は、元禄時代に「淡島明神」をお迎えして建立されたお堂です。
淡島明神は、和歌山県加太町の淡島神社を本拠とする女性の神様。
婦人病の平癒、妊娠と安産、裁縫の上達など、ご神徳は女性にまつわるものが多いとされています。
2月8日には、淡島堂で「針供養」が行われます。折れたり曲がったりなどして、使わなくなった針を、豆腐に刺して感謝の意を示します。
煙をあびると病気が治る?
宝蔵門をくぐり、本堂の手前には、線香の煙がたちこめる「常香炉(じょうこうろ)」があります。
身体の悪いところに煙をかけると、良くなるなどと言われています。
参拝客たちは、手であおいで思い思いのところにかけていますね。
そもそも常香炉は、お参りの前に身を清めるための仏具です。自分の悪いところを取り除く、ということから転じて、病気が治るという意味合いになっているようです。
商売繁盛のご利益なら銭塚地蔵堂へ
ネーミングからして、お金にまつわるご利益がありそう。銭塚地蔵堂は浅草寺の最奥に位置する小さなお堂です。
銭塚地蔵とは?
江戸時代の享保年間(1716~1736)、今の兵庫県にあたる摂津の国に、貧しい武士の一家があったそうな。
その家の妻が、武士の誇りを大切にする人物で、物やお金がなくても、他人の援助を受けず、清貧をつらぬいていたそうです。
あるとき、子どもたちが庭先に埋まっていた大金(たくさんの寛永通宝!)を掘り当てたのですが、それすらも埋め戻してしまいました。
武家の誇りを学び、育てられた子どもたちは立派に成長し、家は大いに栄えました。お金を埋めた場所に祀られたお地蔵様が、銭塚地蔵です。
浅草寺の銭塚地蔵は、兵庫県西宮市山口町の銭塚地蔵尊の分霊を、勧請してできたもの。石の六地蔵尊が安置されており、その下には、やはり寛永通報が埋められているとか。
江戸時代から、商売繁盛のご利益があるとされ、多くの人々がお参りしています。
たたいて金運アップ!? カンカン地蔵
銭塚地蔵堂の敷地内に、「カンカン地蔵」というユニークなお地蔵様がいらっしゃいます。
元は大日如来像だったらしいのですが、ご覧の通り、原型を全くとどめていません。
お参りの際に、塩を奉納し、石で像を打ってお祈りすると、財運に恵まれると言います。
「カンカン」という名前は、石で打ったときにカンカンという金属的な音がすることから。地震や火災に遭ったこともあり、このようなお姿になったそうです。
芸事のご利益なら弁天堂、鎮護堂へ
宝蔵門の手前、仲見世通りを挟んで東に弁天堂、西に鎮護堂があります。
関東三大弁天のひとつ
本堂の東南部にある小高い丘は、「弁天山」と呼ばれています。山頂に弁財天(弁天様)を祀る弁天堂があるからです。
弁天様は七福神唯一の女神です。天女のようないでたちで楽器の琵琶を持ったお姿が、よく描かれます。音楽はもちろん、芸事・芸能の上達にご利益があるとされています。
浅草寺弁天堂には、白髪の弁天様がお祀りされていることから、「老女弁天」と呼ばれています。特に霊験あらたかだということで、「関東三弁天」のひとつに数えられています。
なお、弁天堂の鐘楼にかかるのは、徳川綱吉の時代に改鋳された大変由緒ある鐘です。太平洋戦争時に、多くの寺から鐘が供出されましたが、特別にまぬがれたとか。
江戸市中に時を告げる鐘のひとつで、深川に住んでいた松尾芭蕉が「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んでいます。
いまでも、大晦日の除夜の鐘の他、毎朝6時に時の鐘が撞かれています。
「おたぬき様」の異名を取る鎮護堂
鎮護堂は比較的新しいお堂で、明治時代に創建されました。別名を「おたぬき様」というように、たぬきに縁のあるお堂です。
江戸時代以前、東京にはたくさんのたぬきがいました。上野の山や浅草の奥山(浅草寺の西側エリア)にもたくさんいたのですが、彰義隊と官軍の上野戦争、奥山の開拓などで、だんだん棲みづらい環境になったのだとか。
明治のはじめに伝法院あたりに棲みついて、浅草で散々いたずらを繰り返したそう。住民が困り果てていたところ、当時の浅草寺住職の夢枕にたぬきが立ち、「たぬきのために祠を建ててくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させる」と告げました。
明治16年(1883)に鎮護堂が創建。お堂の中をのぞくと、かわいらしいたぬきの石像が見られます。
火除け祈願、盗難祈願のご利益があるとされてきましたが、「たぬき」→「他抜き」→「他を抜く」というシャレで、落語家や歌舞伎役者から篤い信仰を受けています。
お堂の脇には、明治に市川一門が奉納したという手水鉢が。
「人気の泉」として親しまれています。
まだまだあるぞ! 浅草寺のご利益スポット
とにかく広い浅草寺には、数多くのお参りスポットがあり、それぞれにご利益があります。
生まれ年の守り仏をお参りできる影向堂(ようごうどう)
「守り本尊」という仏様をご存じでしょうか?
干支ごとに、その年生まれの日とを守ってくれる仏様のことで、影向堂にはすべての守り本尊を拝むことができます。
とにかく観音様が主役の浅草寺。観音様の説法や活躍に対し、不断に協力する仏様を「影向衆」と呼び、お祀りしているのが影向堂です。影向衆は干支の守り本尊にもなっています。
内陣の中央には聖観世音菩薩(中尊)、左右を固めるように8躰の守り本尊が並んでいます(カッコ内は干支)。
千手観音(子年)
虚空蔵菩薩(丑年、寅年)
文殊菩薩(卯年)
普賢菩薩(辰年、巳年)
勢至菩薩(午年)
大日如来(未年、申年)
不動明王(酉年)
阿弥陀如来(戌年、亥年)
お堂の中は、取材でも撮影できないので、お姿をお伝えできないのが残念です。
浅草寺ホームページにて、お顔を拝すことができます。
影向堂では大黒様の御朱印も
本堂以外のお堂は、法要でもなければ閑散としていることのほうが多いのですが、よく人だかりのできているのが影向堂。
堂内に大黒天がお祀りされていて、御朱印がもらえるのです。近年流行の御朱印ファンが列をなしていることもあります。
お祈りの方法次第でご利益がある「日限地蔵(ひぎりじぞう)」「一言不動(ひとことふどう)」
影向堂脇の六角堂は、浅草寺最古の建築物であるばかりか、都内最古の木造建築。室町時代の建立と伝えられます。
ご本尊は日限地蔵尊というちょっとユニークなお地蔵様。
「100日後までに彼女ができますように!」など、日数を決めてお参りするとご利益があるとされています。
薬師堂近くには、「一言不動」と呼ばれる小さな祠が。
何かひとつのことに絞ってお祈りすると、願いが叶うと言われています。
サラリーマンを救う!「加頭地蔵」
加頭地蔵は鎮護堂の敷地内にあるお地蔵様です。
作られた年代など不明なことが多いのですが、取れた頭が胴体につなげられています。
「クビがつながる」とされ、サラリーマンの信仰を集めています。
まとめ
浅草寺境内には、数え切れないほどの観音様やお地蔵様が泰安されています。
一度境内をぐるりとまわって、さまざまな仏様にお会いしてみてはいかがでしょうか?
ご利益を期待するだけでなく、より深く浅草寺を知り、ふだんとは違った気持ちでお参りできるかもしれません。